2012年12月22日土曜日

テーブルソウの修理

今年最終週の木工教室である。朝テーブルソウの掃除とチェックをしていたら、スライドテーブルの部分から”カタンカタン”と変な音がする。音の出所を探っていたら、スライドレール部分に貼り付けてある磨耗に強いステンレスの薄板の中央部が浮いているのを発見。修理は簡単ではないので、今日の教室はそのまま使い、教室終了後に修理することにする。ドイツ製のこの機械、製造会社はもうないし、もともとメンテナンスは自分でやる覚悟で買っている。現場に運び込むことができる50kgという軽さのためか、スライドレールは強度的にやや弱い。長年の使用でステンレス板が延び、また接着剤の劣化もあり、中央部が膨れてはがれているわけ。以前同じトラブルを経験していて対処法はわかっているが、これがとても厄介な作業。



写真は分解したスライドレール部分。片側10個、両側で合計20個の直径8mmほどの小さなステンレス球が本体との間に挟まれていてリニアベアリングになっている。これを外す時、20個の球が一気に床の上に落ちる。なくさないように回収した後、ステンレス板をはがして掃除をし、元の位置に接着剤で貼り付ける。それからも一苦労。スライドテーブルを本体にかぶせ、スライドレール部分に20個のステンレス球をはめこんでゆく。



教室終了後2時間弱でなんとか復元できた。このテーブルソウが使えなくなると本当に困る。自分で修理するにも限界がある。あと何年使えるだろうか?

2012年12月5日水曜日

富山へ

富山大学の小松先生が、富山市民プラザで12月7日(金)まで、これまでに作られた「愚者の楽園」シリーズの集大成となる展示会をされている。ぜひ見たく、富山へ日帰りしてきた。今年の12月は寒い。まだ上旬なのに東海北陸道は雪でチェーン規制。先週スタッドレスに履き替えておいてよかった。


冷たい雨の降る中、富山の会場に到着し、会場へ行くが、広い。その広い会場が、存在感のある”家”が30軒以上並んで、狭く感じる。作品はもちろん、展示にも気配りや工夫が完璧だ。平日だけの展示会だが、小松先生の創作活動のひとつの節目として重要な意味を持っている展示会だろう。良い刺激というより、かなりショックを受けた展示会だった。



2012年11月23日金曜日

再接着

「第一回暮らしの中の木の椅子展」に初めて入選したスタッキングチェアをずっと休憩室で使っているが、床が凸凹なうえに重量級の方が座ることも多く、ホゾが緩んでガタガタしていた。それを今日分解して再接着し組み上げた。



何時分解するか、経験からガタガタ具合で判断している。早すぎるとホゾが抜けずに部材を痛めるし、ガタガタを放置しているとホゾが破損してしまう。ガタガタが適度な時が、ホゾがうまく抜け、分解しやすい。今回は絶妙のタイミングで、木槌で数回叩くだけで全てのホゾを外すことができた。バラバラになってしまうと元通りになるか心配になる。慎重に組立てる順番を考えて作業台の上に置いて接着に備える。

いつもならピーアイボンドで再接着するところだが、比較のためもあり、タイトボンドⅢを使ってみた。部材がチークで接着強度がでにくいが、果たして何年緩まずに持ちこたえてくれるだろうか。”スタッキング”機構、椅子が10脚以上ある休憩室で本当に重宝している。が、どうしても強度的に無理をしているので、接合部にかかる負担が大きいのが難点。

2012年10月26日金曜日

木工教室作品展開幕

本日午後から第12回目となる木工教室作品展が始まります。今回の出品数は約110点で、手間のかかる箱物が多いかな。楽しみの木工なので、比べるのではなく、一品々を楽しんで見てもらえたらなと思います。28日(日)の17時まで。

2012年10月24日水曜日

万年筆

字を手で書くことがホントに少なくなった。99%以上、パソコンで文章を書いているので、漢字も忘れがち。それで手書きで充分な場合は、昔好きだった万年筆で書くようにしている。中字が好みで、やや太めのシェーファーを使っていたが、最近どうも調子が悪い。それで、高校生の時に万年筆好きの友達に影響されて買ったモンブランの万年筆をひっぱりだしてきた。なんと40年以上前のモノ。パイロットのインク(ブルーブラック)を入れたら、これが柔らかくて実に快適。ネットで調べてみると1960年代の製品で#32というモデルらしい。発売時の定価は6000円、当時三宮にあったダイエーの万年筆売場で半額ぐらいで買ったと思う。今は程度の良いものであれば3万円くらいで取引されているらしい。こんなに長く使えるのだから、パソコンよりも万年筆の方がよっぽど偉い。

2012年10月17日水曜日

外部塗装

もうすぐ作品展なので、その準備をしている。今日は入り口付近と工房南側の格子の塗装をした。工房建物は以前に塗っているが、今回の格子は初めての再塗装。


家具と違い、外壁塗料は極めて過酷な条件におかれる。特に日光による劣化が激しいようだ。この格子は以前南側に山があったため比較的長持ちしたが、山がなくなってからは直射日光があたり、劣化が速くなったようだ。塗料はサドリンクラシックのグレーアンバー色。シャバシャバで、防腐剤と顔料が入ったオイルフィニッシュに近い塗料。良く言えば「木の持ち味が生きる」、悪くいえば「肉持ちが悪く、塗りにくい」。一般の方だと、頼りない塗料と思うだろう。塗った効果がわかるように塗るためには、一度塗って、少し染み込んでから、その上に塗料を置く感じで重ねないと、色が付かない。今さら塗料を変えるのもリスクがあるので毎回これを塗っているが、紫外線の強い日本なら、もう少し粘度があって顔料の層ができる塗料の方がいいように思う。

「木の家はいい」と言われるけれど、外壁の劣化、虫食い、反りや収縮、など弱点も多い。それらを覚悟する必要がある。

2012年10月7日日曜日

手考会作品展

東京へ行ってきた。第9回手考会作品展を見るためである。案内状には「手考会は、日本の伝統木工技術である手道具や手加工の基礎的技術の習得を目的として活動しています。」と書かれている。今年はまさにその通りで、全メンバーが「A4の書類が入る文箱」を課題として作り、中央に展示されている。会の原点に戻り、鉋身の巾を超える広い板を調子を整えた平鉋で枕が出ないよう綺麗に削ることを重視しているのだ。こんな展示会にあって、機械をかなり使って作った私の作品は少々場違いだった。私を含めて、教室では作るというプロセスよりも、出来上がりのイメージが先行している場合が多い。日本の伝統的手道具を使いこなしていく技術継承の意味においても、手考会の方向性は良い手本として再認識した。

久しぶりの上京なので一泊して翌日は美術館や街歩きを楽しんだ。朝一番は復元された東京駅を見た。林立する大商業施設より、これは断然良い。

2012年9月27日木曜日

細かい作業後月下美人

「手考会出品用に今年も新作を作らねば・・・」と思いつつ、アイデアが浮かばず、結局10年くらい前に試作で終わっていた木製三段引抽斗の小箱を作ることにした。現物が目の前にあるのだが、これが予想以上に細かい作業の連続。こんなにシンドイとは、正直後悔しているが、ようやく目処が立ってきた。写真はスライド部分の工作で、一本の部材は13mm角なので、その細かさがわかってもらえると思う。



こういう細かい仕事をする時、キース・ジャレットの”The Melody At Night, With You”のしっとりしたピアノをエンドレスで流し、気持ちをゆったりさせながら仕事をすると時間を忘れる。気がつくと窓の外は真っ暗、ヨメさんが「今晩、月下美人が咲くよ!」と言う。夏と秋、二回咲くようだ。月下美人は毎年ブログに登場しているが、もちろんこれは今年の花。

2012年9月19日水曜日

今年の作品展案内状ができた

毎年10月末に工房で行っている作品展の案内状ができてきた。今回、グラフィックデザイナーの生徒さんにご協力いただき、デザインから印刷までお願いできた。やはり出来栄えが違う。Mさん、ありがとうございます。



手前味噌ですが、ウチの作品展は本当に見応えがあります。プロの木工家さんの場合、時間や効率、強度、注文内容など、様々な制約を受けるのに比べ、アマチュアにはそんな縛りがなく、”自由”です。製品としての出来栄えではなく、作り手の熱意が率直に伝わってくる。だから、見て楽しいのだと思います。

2012年9月6日木曜日

高山へ

毎年9月初旬には飛騨高山で地元家具メーカーによる「家具の祭典」が開催される。土日休めないので、平日に行ける展示会は貴重。ほぼ毎年見に行っている。

11時頃に会場につくと、局地的な豪雨なのか、車から出るのも躊躇われるほど。なんとか会場に入ったが、雨のせいだろうか、メイン会場は少々寂しい。出展メーカーが減っているのか、展示も少ないように感じる。木の家具は見慣れていてインパクトを感じないのかもしれないが、正直なところ家具メーカーの勢いを感じなかった。飛騨のクラフト展の会場の方が、自分は面白かった。その半分にミュージアム飛騨があって「技の歴史」の展示がある。祭典の間、ここも無料で見ることができる。私は初めてだったが、飛騨の匠の歴史、たとえば平城京の造営に飛騨の職人が関わっていたとか、京都に飛騨の職人が集められたけれど、逃亡する職人が多かったなど、今まで知らなかったことが多くてびっくり。最後の方では皇居の新宮殿の椅子を黒田辰秋氏が設計して飛騨の職人さん達が作り上げた様子などがあって、興味深かった。この会場は写真撮影禁止マークがなかったので、少し撮影させてもらった。流石に凝った作りやなあ。



実は平湯温泉キャンプ場で一泊する用意をしていたのだが、会場を出てからも雨模様の空を見て、中止に決定。せっかく高山まで来たので、街歩きを楽しみ、高山ラーメンを食べ、帰路に。時間が早めなので、41号を南下し、飛騨小阪の温泉「ひめしゃがの湯」に入って、名古屋まで一般道で帰った。

2012年8月26日日曜日

送り火

��0日ほど前の話ではあるが、関西に長い間住んでいながら一度も見たことがなかった京都五山の送り火を、日帰りながら、初めて見てきた。お盆の15日には、よく西尾の花火大会に行くのだが、今年は豪雨で中止となったこともあり、お盆らしい気分に浸りたかったこともある。

朝自宅を出たので京都には昼前に着いてしまった。正直夜までは長かったが、京都の町は、それでもなんとなく時間をつぶすことができる魅力がある。夕方「イノダコーヒー」でヒレカツサンドとコーヒーのセットを久しぶりに食べるが、やっぱり美味しい。そして地下鉄で鞍馬口へ向かい、東へ10分ほど歩いて加茂川の河川敷へ行く。船岡山が多くの送り火が見えるスポットらしいが、河原でのんびりできそうだし、大文字を正面から見るこの場所に決めた。芝生には、若いカップルはもちろん近所の中年夫婦が寝ッ転がっていたり、大学生らしい若者のグループなどが石垣に座っていたり。私達も花壇の石垣に座って陣取り、8時の点火を待った。

辺りが暗くなった頃には、結構まわりに人がやってくる。大部分は地元の人達だと思う。お祭りにつき物の、たこ焼きやリンゴ飴などの屋台は・・・、全くない。静かに夜がふけ、やがて、大の字の中心の交点あたりで火がついたと思うと、すぐに字の先まで火が点火され、煙が炎を隠したりしたが、やがて右へ習字で書いたように流れる「大」の字が、くっきり夜空に輝いた。「あの字の形がええなあ!。ここが一番カッコ良く見える」と独り言を言ったら、となりに座っていた同年輩夫婦のオッサンが「ここが最高ですわ」と相槌を打ってきた。花火のような派手な音もなく、夜店もなく、ただ京都の人が16日の夜に外に出て、夜空に浮かぶ「大」の文字を見て、「きれいなあ」とか、「今年もお盆が終わったなあ」とか、しみじみ思う・・・のだろう。自分もこの静かな送り火に、なんとも言えない郷愁を感じ、来て良かったと思った。



名古屋まで帰らねばならないので、午後9時前には地下鉄に乗り、車のところへ向かった。それからが大変だった。京都東ICまで渋滞し、名神に入ってからもUターン渋滞に巻き込まれ、帰り着いたのは午前様。今度見に行く時は、京都で宿を確保して行きたい。

2012年8月8日水曜日

檜枝岐の歌舞伎小屋

テレビがオリンピックの話題で大半を占められる中、民主・自民・公明の一握りの政治家が密談、日本の一大事を決めている。それに対し、何もできない自分が情けない。小言を言っていてもしかたがないが・・・。

尾瀬の北側に檜枝岐(ひのえまた)村がある。学生時代に会津方面の山に行った帰りだったか、立ち寄った記憶がある。川で中学生が飛び込んだりして遊んでいるノドカな風景が印象的だった。最近有名になっている、檜枝岐で年に何度か行われるという歌舞伎小屋を見てきた。なんとも素朴な小屋で、その前に山の斜面を利用した石積みの階段状観客席(最大1200名収容できるらしい)が見事に配置されていた。こんな山奥の村、そこに損得ではない、古人達の純粋なエネルギーを見た。政治家の皆さん、見習ってほしい。



2012年7月29日日曜日

積年の粉塵

木取りによく使うジグソウ、前から音がおかしいと思っていたが、今日いよいよ調子が悪く、限界を感じた。もう20年以上使っているので、充分元は取っている。電動工具は自分で分解すると、調子が悪くなったり部品を破損したりすることが多いが、ダメなら買い替える覚悟で、分解してみた。

ネジを外し、スキマにドライバーをつっこんで慎重に開けてみると・・・、予想したよりはるかに大量の木屑とグリスの団子状態のものが、びっしり詰まっていた。モーターの回転子も引っこ抜いてしまい、元通り組めるか、心配だ。



意外にも、ブラシはあまり消耗していない。紛れもなく不調の原因は、グリスを封入されていたギアの周囲の、黒いオカラのような油まみれの木屑。手を真っ黒にしながら、ブラシや木のヘラで粉塵を取り出すと、写真のように、こんもりと山になるほどの量だった。



ギアや可動部分はかなり磨耗しており、これからあまり長い間使うことはできないと思うが、とにかく大量のゴミを掻き出し、ジグソウが復活。寿命まで修理しながら使ってやれそうなことが嬉しかった。



2012年7月22日日曜日

羽衣&O工房訪問

梅雨あけ宣言は早すぎたのでは?猛暑の後、7月とは思えない涼しい日。庭の土手の雑草に白く薄い”羽衣”がかかっていた。

くもの巣と雨粒の仕業。でも、なかなか美しい。

木工教室は夏休みなので、普段はできないことをやっている。卒業生のO氏はセルフビルドで小さいながらも立派な工房を建て、動力の木工機械も入れて、現在は他の仕事もしながら、土日はプロとして木工をやっている。彼が最近買った木工旋盤を見たかったので今日行ってきた。彼は小田原で寄木細工の仕事を経験していて、主に小物中心のものづくりをしている。こうして自力で”夢”を実現しているのを見て、こちらも元気をもらった。

2012年7月5日木曜日

抜糸

手術から一週間経ち、今日は抜糸の日だった。

レントゲンを二枚撮った。しばらくの間、術後の患部の様子を経過観察するそうだ。嚢胞(膿胞ではなく、これが正しい言葉らしい)摘出後の空間には血が溜まっていて、そこに半年とかの長い間に骨がゆっくり再生するとのこと。その間感染させないよう注意しないといけない。抜糸したら、いくぶん口が軽くなって、今のところ何の問題もない。

写真のタリーズコーヒー、特に好きなわけではないが、お世話になった病院のロビーに、受付や会計のカウンターに対面するようにこのコーヒーショップがある。病院というと、どうしても消毒薬臭くて陰気な雰囲気が漂うが、このショップのおかげで、病院にしては明るく都会的なムードがある。先日の退院の日、迎えのヨメさんと一緒にここでコーヒーを飲んでちょっと嬉しかったが、私達と同様に嬉しそうにコーヒーを飲んでいる夫婦が他にも居た。また病室からパジャマ姿でコーヒーを飲みに来ている患者さんもいて、病院がこういうコーヒーショップを設置したことは、英断ではないだろうか。

2012年6月29日金曜日

無事帰還

4月頃、歯が欠けたのでかかりつけの歯医者さんへ電話をするが、受付の女性が「今日は予約でいっぱいです」。「なんでもかんでも予約優先ではないやろ!」とは言わなかったが、ムカッときて、前々から薦められていた近所の歯医者さんへ鞍替。初めてなのでレントゲン(パノラマ写真)を撮られ、偶然歯茎に大きな濃胞が見つかった。若い女医さんが、「これだけ大きいといずれ神経に触わるなどの支障がでます。大病院の口腔外科で見てもらった方がよいと思います」とアドバイスされた。全く自覚症状はないが、そう言われると気になる。瀬戸市の病院で診てもらうと約1cmX2cmの大きさ。覚悟を決め、摘出手術を受けることに。半年ほど前に元生徒の「楽木屋」氏が、まったく同じ経緯で手術をしたことは聞いていた。彼と同じく、全身麻酔3泊4日である。6月26日入院、27日手術、そして今日29日退院してきた。

2001年7月に盲腸破裂で深夜の緊急手術を受けたことがあるが、後で「半日遅れたら危なかった」といわれたほどで、それこそ必死だった。今回はぴんぴんしているのに手術するというので、非常に落ち着いた目で現在の医療現場を見ることができた。簡単な手術とはいえ、全身麻酔は危険が少なくないようだ。何枚も同意書にサインをさせられるし、前日には動脈採血があった。静脈と違い、奥深いところを走る動脈に針を刺すので、これは痛かった。当日は歩いて手術室まで行き、そこでベッドに乗る。あとはベンケーシー(大昔にあったドクターが主役のアメリカの番組)のごとく、いくつもの扉を超えて手術室へ。そこでほとんど裸にされて、静脈から麻酔をする・・・。

 何か学生時代の楽しい夢を見ていたように思うが、気がついたら手術が終わっていて、「これです」とビンに入った濃胞を見せられた。ボケーッとした頭で、なぜか開口一番「写真に撮らせてください」と言った。それが次の写真


とにかく、無事終わってよかった。多少の張れとシビレ感はあるが、すぐになくなるだろう。小さいうちに発見できれば、根の治療や、手術であっても部分麻酔でできるそうなので、一年に一度くらい歯全体のレントゲンを撮ってもらうのはよいことかもしれない。

11年前と比べ、看護士さん達の仕事のほとんどがパソコンを使ってなされているのに驚いた。患者は腕にバーコードの入ったテープを巻かれ、それをピッとして、点滴のラベルをピッという風に、全てパソコンでやるべき仕事の内容とスケジュールが指示されている。たしかに、これで間違いは激減しただろう。聞けば、9時~17時、17時~25時、1時~9時の三交代制だという、仕事とは言え、頭が下がる。どのような職業であれ、誇りと自信を持って、楽しげに仕事をしておられる姿は見ていて気持ちがいい。不満のない仕事などないから、仕事中は集中し、誇りを持って働いていれば、いずれ良いことがあると思う。

短い入院であっても退院は嬉しい。点滴ごしに見る外の風景、今朝はとりわけ美しく見えた。

2012年6月27日水曜日

あっという間に・・・

消費税問題、ふたを開けてみれば、圧倒的多数で増税可決。なんじゃいな。
反対した議員は「俺は反対した」と、エエ子ちゃんになって、手柄か自慢話にするんじゃろうか。

自分は政治家にはなれないし、そういう資質はない。お任せするしかないが、あまりに民意とかけはなれているところで国家の大事な事が決まっていく。増税は全く不要だとは思っていないが、日本の場合、税の使われ方が極めて不透明である長い実績がある。また巨大宗教団体の施設だということで、文化的価値もないのに、大きな建物や土地が非課税というのも、納得いかん。誰か、タブーの宗教法人課税について言及する人はいないのか?

原発のことも、増税でふっとんでいる。いくつかの報道で福島4号機、燃料プールの危険性は、事故がおこれば、人類が経験したことがない途方もない規模の放射能汚染が起きる可能性に言及しているというのに。ただ、「反原発」の御旗のもと、ここぞとばかり、様々な政治団体、宗教団体が、別の意図を持って、入り込んでくる。こういう動きにも気をつけないといけないが、原発の危険性は、たとえば化学工場の爆発などに比べ、人間の力ではどうにもならない、コントロール不可能になることにつきる。原発は、暴走しないように微妙にコントロールしているが、”想定外”のことが起こり、ひとたびコントロールを失うと、ひたすら暴走、地球全体に、そして未来に半永久的な汚染をもたらす。4号機プールが倒れた場合、関東全域だけではなく、もっと広範囲に人が住めなくなるだけではなく、世界中に昨年の事故の場合と比較にならないほどの放射性物質がばらまかれるという。

総選挙、もしくは原発政策についての国民投票をぜひ実施してもらいたい。

2012年6月15日金曜日

自然が一番

タイミング良すぎる、オーム事件の犯人逮捕。有名芸能人の麻薬での逮捕もグッドタイミングだ。消費税増税や原発再稼動という、この国の将来に大きく関わる政治判断がなされる大切な時期に、タイミングが合いすぎだ。偶然かもしれないが、結果的にそれらの事件によってもっと大切なことについての報道時間が大幅に削られていることは間違いない。”不自然”に感じるのはかんぐり過ぎだろうか?

話は変わるが、先日学生時代にお世話になった先輩のお見舞いに神戸に行ったので、実家に寄って前から一度走ってみたかった舞子海岸から西へ続くサイクリングロードを走った。明石架橋ができて超近代的な、「ここは日本か?」と思うような人工海岸も楽しくはあるが、やはり不自然さが残る。これに比べ明石から西、住吉神社を経て二見港へと続く海岸線は、毎夏子供時代に一日海で遊んでいた、その時と同じ砂浜が続いており、胸にジーンとくるものがあった。やっぱり自然が一番だ。

2012年6月5日火曜日

展示会が終って、ダレーッ

日頃は起きると仕事場だが、”木の家具40人展”の間は毎朝名鉄瀬戸線に乗って栄町まで行き、10分ほど歩いて電気文化会館の会場へ通った。サラリーマン時代はこうして毎日職場に通っていたけれど、慣れない通勤に加え、展示会という非日常的な日々で、刺激的ではあったが、疲れた。昨日搬出を終えて、今日は通販の出荷準備をしたら、何もする気が起こらず、ダレーッとパソコンの前に座っている。

合同展示会のことについて昨晩HPに書いた。今日他の出展者さんのブログなどをみると、「昨年よりも落ち着いた人出で、ゆっくりお客さんと話ができてよかった」というような感想が多かったように思う。新聞で大々的に紹介されるよりも、よかったかもしれない。毎回のことだけど、合同展示会が終った時、「また参加してもいいな」という爽やかな気分になる。

出展者の方々、また見学に来られた皆さん、どのような感想でしたでしょうか?

2012年5月31日木曜日

木の家具40人展2012

今日は上記展示会の搬入日だった。朝から夕方まで・・・、ヘトヘト。

自分は率直に感じたことを言う性格で、奇麗事を言うことが極めて苦手だ。木の家具があれだけ並ぶと、精悍を通り越して、正直クドイ。おそらく東西両ギャラリーを見れば、「当分木の家具は見たくない」ぐらいに疲れると思う。決して悪く言っているのではなく、それだけ内容が濃いということだ。皆さんの出品作品の圧倒的パワーに比べれば、私の作品はなんとアッサリしていることか。いやアッサリし過ぎだ。あまりに色気がない。まあ、そういう好みだから仕方がないが、コッテリした料理を毎日食べていれば、ざる蕎麦や茶漬けが無性に食べたくなるようなもの。アッサリした展示もよしとしよう。新作の組立式パソコンデスク上に置いたiMACで、昨年度教室作品展のスライドショーを流しているので、それをホケーと見るのも楽しいかも。

搬入に忙しく、今日はカメラも忘れ、写真なし。でも、ホンマに密度の濃い展示会なので、「木の家具は当分結構です」となるほど木の家具を見たい方、ぜひ名古屋地下鉄「伏見駅」徒歩3分の電気文化会館までお越しください。6月3日(日)夕方5時まで。

2012年5月22日火曜日

エノテラ

工房の土手を覆うようにエノテラの花が咲いている。調べてみるとエノテラは昼咲きの月見草らしい。昼も美しいが、夜も美しい。何の世話もしていないのに、除草剤にも負けず、5月のこの時期、毎年領域を拡大しながら花が咲くとは大したものだ。今日は静かなピアノの曲を聴きながら細かい木工作業に集中していた。ちょっと休憩して外に出ると、エノテラが出迎えてくれていた。

2012年5月17日木曜日

金沢 しいのき迎賓館

親しいKWCさんはじめ石川県の木工家具の作り手10名の方々が、金沢市の「しいのき迎賓館」で27日まで家具職人展を開催されている。作品展を見たいのはもちろん、”しいのき”に妙に惹かれたので、初日の今日、金沢へ日帰りしてきた。折角金沢まで足を運ぶので、能登半島でキャンプをしようと思ったりしたのだけれど、名古屋の展示会の作品作りをしないといけないので、今回は日帰りだ。

東海北陸自動車道のおかげで金沢まで走行3時間強。しいのき迎賓館の意味は到着してわかった。玄関前にデッカイ椎の木が2本並んで立っている。



椎の木はドングリの木だ。でもこんなに大きな椎の木を見たのは初めてだ。いよいよ建物内部へ。旧県庁だった建物は表側の顔、裏側(金沢城側)はガラス張りの近代的な建物である。すぐ前にある21世紀美術館のイメージを持たせたのだろうか?。展示会の会場は一階の二室のギャラリー。こんな良い場所のギャラリーで展示会ができるとは羨ましい。写真はKWCさんが出展されているギャラリーのスナップ。



展示を見終わって、お腹が減った。興味本位で会場二階のレストランを覗くが、それが”ポール・ボキューズ”。店の前の店員さんは「作業服姿のお客様はご遠慮ください」というようなオーラを発しており、早々に退散。午後は金沢をサイクリングしようと内灘のサイクリングターミナルに行くが、風が強いし、走ってもそれほど面白くないように思われ、金沢市内に戻る。駐車場所として目をつけていた、東茶屋街の裏手にある卯辰山公園の菖蒲園に車を置き、金沢城や武家屋敷、寺町、西茶屋街などを見て帰路につく。昼飯をまともに食べていなかったので、小矢部SAのレストランで、お刺身定食と富山名物の定食を食べたが、これが結構うまかった。

��月27日までと会期が長いので、金沢観光を兼ねて出かけられては如何でしょうか?隣の21世紀美術館も必見です。

2012年5月4日金曜日

ポイズン リムーバー

5月頃から秋まで、しばしば庭の花に集まるハチが工房にやってくる。生徒さんが刺された時のためにと、効果のほどは?だが、アウトドアで活躍するという、写真のような毒吸取り装置を常備していた。



昨日工房にヨメさんが庭仕事をしていて「ハチに刺された!」と痛そうな顔でやってきた。ふと常備しているポイズンリムーバーを思い出し、それを使ってみた。刺された指に押し当て、ハンドルを引いて、真空吸引する単純な装置。真空状態を一分ぐらい保つと、ゴマ粒ほどの白い液体が、刺された穴から出てきた。刺された本人の話では、これでかなり楽になったという。もちろん完全に毒が除去できるわけではないので痛みは残るが、その範囲が指先にとどまっている。2日目は手のひら全体が少し腫れてはいるが、リムーバーの効果は相当あったようだ。そんなに高いものではないし、軽いから、山へ行く時など持っていくと安心かも。

2012年4月26日木曜日

院外薬局

何年か前から「医薬分離」が叫ばれ、小さな医院でさえ、近所に処方箋受付の薬局を作っている。前々から感じているが、この院外薬局は患者にとって非常に不便、そしてどうも前よりお金がかかるように思う。

近所の耳鼻咽喉科の院外薬局、なんと店に5名の女性が常駐。薬を渡される時、年輩の、おそらく薬剤師免許を持っていると思われる女性が、「体調はいかがですか?下痢などの症状はありませんか?」それだけではなく、「今回抗生剤が変わった理由はなんかあるのですか?」。お医者さんから聞かれるのだったらわかるが、なんで薬局のおばさんに、そんな質問をされないかんねん!特に抗生剤が変わった理由を俺に聞いてどうする!。久々ムカッときて、「それを聞く必要ないやろ!」と言ってしまった。多分ややこしいオッサンやと思われたやろうなあ。すぐに「はい、わかりました」と答えよった。

なぜ、お医者さんの窓口で薬をくれるのが悪いんやろ。患者にとっては何の問題もなかったと思う。今日のニュースで「薬剤師は完全な売り手市場」という見出しがあった。医師会とか薬剤師会というのは、強い力を持っているんやろうなあ。”医薬分離”は薬剤師会からの圧力があったと見るのはごく自然なことだ。薬品のダブルチェックができるという側面もあるだろうが、町の小さな医院で処方する薬、ほとんどはごく一般的な医薬品だから、その必要性もないと思う。

院外薬局がどんどんできて、儲かったのは建築屋さんと薬剤師さんかなあ。患者は処方箋をもらって、近所まで歩いて、あるいは車に乗って院外薬局へ行き、そこでまた質問をされて答えながら、前より高い薬代を払っている。患者のとっては、全くデメリットばかりや。

「院外薬局、それ必要ないやろ!」

2012年4月13日金曜日

季節の変わり目

寒くて長い冬がやっと終わり、桜のシーズンだが、今年は遅い。おかげで4月のこの時期になってからでも春日井の落合公園で花見ができた。


花はいいのだが、毎年この時期体調が悪い。桜の花粉とヒノキ花粉の飛散時期はほぼ同じらしく、どうも自分はヒノキ花粉に過敏なのだ。そのせいで恒例の花粉症になり、今年は旅の疲れもあったろう、蓄膿症まで発症してしまった。また歯が欠けたので行った歯医者さんで歯茎に膿瘍がみつかったりと、重篤な病気ではないが、イマイチの体調。季節の変わり目のこの時期、体調が悪い方も多いのではないだろうか。

2012年3月16日金曜日

挽き割り

6月1日~3日まで名古屋の電気科学館ギャラリーで恒例の展示会があり、それに参加する予定。ほぼ木工教室専業になっているので、家具を売っている方といっしょに展示会に参加してよいか毎回迷う。新しく参加される方も増えているので、そろそろ新旧交代するのもよいかもしれない。

1ブースは間口4mX奥行2mで結構広い。毎回同じ物では恥ずかしい。売っていく立場であれば、同じものを複数作ることができるような材料・構造にしないといけないが、自分の作品を見てもらうだけなら一品物でよいから、木を見て作りながらデザインや構造のディテールを考えてもいいのだ。漠然とイメージはあるが具体的な形が出てこないので、家庭料理にように、まず材料を用意することにした。

何年も前の注文で3mの大きなテーブルと6mのカウンターを作ったことがあり、その際直径60~70cmタモの丸太を製材した。その残りを大切にとってある。幅30cm以上の柾目板だ。それを手押と自動にかけたら、厚みが31.5mmになった。目的の20mmにする方法だが、木屑にするにはモッタイナイので、ウチの帯鋸で限界の高さにトライしてみた。



日立CB75F,購入当初トラブルがあったが、半ステライト刃使用で順調。緊張したが、比較的柔らかい材でもあり、難なく挽き割れた。予想どおり、2cm厚の方はほとんど反りも出なかった。危険を伴う作業なので、教室の場合には高さ20cm以下に制限している。

2012年3月13日火曜日

いろいろ思うこと

3月11日の前後、一年前の大震災、巨大津波に関する報道がたいへん多かった。当然だろう。死者と行方不明者を合わせると19000人以上という数字だけをとっても想像を絶する被害であることがわかるし、そのうえメルトダウンという最大級の原発事故とそれによる放射能汚染が今も進行中だ。そんなことを調べていたら、3月10日が東京大空襲の日であったことがわかった。

学生の時、いわゆるノンポリであったが、学生運動をやっている友達も多く、講演会に誘われることも少なくなかった。中でも早乙女勝元氏の講演は記憶に残っている。岩波新書の「東京大空襲」の著者であり、ライフワークとしてその真実を後世に残していこうとされている方だ。はっきりした大きな声で、その惨状を語られた。若かった私はとても感銘を受けた。当時の警視庁の発表によると
死亡:8万3793人
負傷者:4万918人
被災者:100万8005人
被災家屋:26万8358戸
であるという。これだけの被害が、3月10の午前0時過ぎから2時間少々の間に、アメリカ軍の爆撃によってもたらされたという事実に、今更ながら驚く。小さい頃、母親などから、神戸空襲の悲惨な体験を何度か聞いた。油脂焼夷弾の怖さや防空壕のこと、黒コゲの死体のこと・・・。空襲の目的は、兵器製造工場の破壊だったということだが、木造の日本家屋が燃えやすいことを知ったうえでの非戦闘員犠牲を前提にした爆撃であったことは明白で、見方を変えればこれは大虐殺だ。戦争体験を直接聞くことができる機会はこれからほとんどなくなると思うので、3,11の前日、東京大空襲があったことを思い出すことは意味があるかもしれない。

これだけの被災者をだしながら、8月に長崎と広島に原爆が落とされるまで戦争を続けた当時の日本軍と政府、多くの国民はそれをどうして止められなかったかと思ってしまう。しかし、今も同じような状況があるのではないか。原発事故でこれほど手痛い目にあいながら、一時は脱原発をめざすとした政治家もいたが、原発ありきの方向に戻ろうとしている。水素爆発とされながら、三号機爆発のキノコ雲にも似た黒い煙や、当時観測されたという放射能の異常数値、これらはしだいに隠蔽されている。選挙では、消費税の論議より、これから原発をどうしていくのか、それを見て判断したい。

2012年3月6日火曜日

「文鎮化」かろうじてまぬがれた

今月のホームページで書いているAndroidのスマホ、これに結構ハマッている。iphoneかandroidかで迷っている方、ふつうに楽しく使いたいならiphoneを、コンピューターいじりが好きで、苦労があっても自分でいろいろさわりたい人にはandroidをおすすめします。

��phoneも脱獄して中をいじることはできますが、androidの場合は、管理者権限を持つことを”rootを取得する”といい、これによってシステムの深いところまで触ることができるようになります。しかし、これはセキュリティーの問題や、スマホが動かなくなってしまう、これを文鎮化するというのですが、そういう恐れがあって、やるなら全て自己責任でやる覚悟と技量が必要です。

自分の悪い癖で、どうしてもrootを取って、自由にいじりまわしたい。googleで検索すればroot化の方法はいっぱいでているので、それを参考にroot化に成功。その後、通常はできないスマホをWifiルーター化するデザリングにも成功。!ところが昨日、調子にのってビールを飲みながらドコモの初期状態で入っている不要なアプリをドンドン削除していたら・・・・、全く反応しなくなってしまった。

やってしまいました”文鎮化”。こうなってしまってもショップに持ち込むことはできない。必死こいてネットで調べ、ソニーエリクソンの公式ページから新しいバージョンを再インストールしてみたら、なんとか初期状態に戻った。そして前の状態まで復帰できた。

やれやれ。もういじりまわすのはやめとこ。予定していたSIMフリー化は、必要性がそれほどないので、中止しとこ。

Androidスマホを持ってみたかった理由のひとつが、実は地図ロイドというアプリで、これは国土地理院の2万5000分の1の地図を読み込める無料のアプリケーション。wifi環境で必要な地図をキャッシュに保存しておけば、電波のないところでも使えるし、内臓GPSで地図上で現在地も確認できるすぐれもの。これがしっかり動いているだけでもよかったと思う。






2012年2月10日金曜日

折りたたみキャンプテーブル他

今は寒いから家に居ることが多いけれど、気持ちのいい季節が来たら、景色のいいところへ行ってのんびりお茶でも楽しみたい。昨年からキャンプを再開しているし、小さくなるキャンプ用テーブルを探していた。アウトドアショップで売っているアルミフレームのテーブルを買おうとすると、ヨメさんが「作ったらいいやないの!」・・・。それでワンバイフォー材などで作ることにした。作るとなると、いろんな工夫をしたくなる。考えすぎると作れないので、アイデアが浮かんだ段階で、エイヤと作ってみた。



見た目は普通のテーブルやが、脚がこのように折りたため、



間のスペースに棚を収めると、このとおり。ダボが凹みに入り込んで棚と一体になる。



また先日の教室は人数が少なく、久々にアリ組の練習をした。そのうち、寝る時に読む本やテレビのリモコン、あるいはipodなどを枕元に置くための、ベッドの端にひっかける小さな棚が作りたくなった。材料は頂いたコウヤマキ。ソフトクリームのように柔らかく、アリをサクサクと刻んで、仮組せずに叩き込んで終わり。ダボやビスケットなど機械に頼って作るより、これくらいならアリを手で加工する方が確実で楽しい。意外と早くできるし、大変強度がある。

2012年2月2日木曜日

手押鉋Vベルト交換

少し前から太洋の手押鉋の振動が大きいように感じていたので、昨日駆動系を見てみると、Vベルトの振れが大きい。一度も交換したことがなかったので、ベルトを外して見てみると、こんなふうになっていた↓



他のところにも亀裂があったりして、「こりゃあかん」。というわけで、寒い中Vベルトが売場に並んでいた記憶のある近くのホームセンターへ行く。が、60インチまでしかない!ほしいのはA66というタイプ。通販で買っていては週末の教室に間に合わないかもしれない。それで車で15分ほどの杉山金物へ電話をしてみると「ありますよ」とのこと。名古屋市守山区にある杉山金物は大工さん御用達の大きな店で、店内は壁から天井から商品であふれ、何でも出てくる不思議な店。

早朝、雪でスリップするのを注意しながら、お店に行って買ってきた。ついでに、木工用ドリルを手で回すクリックボールがよく滑るので、四本爪のやつも買ってきた。ホームセンターのVベルトはIの字型にしばってあったが、この店のは丸いまま売られていて全くクセがついていない。これは結構大切なこと。通販で買うよりも少し高いけど、「今すぐほしい」時に手に入るのは本当に助かる。



他の機械も不安になって、ベルトを点検し、その型番を機械本体にマジックで書きとめた。今回はベルトの交換で済んだけれど、そろそろベアリング交換も考えないといけないかもしれない。