2013年12月27日金曜日

年末にバタバタと

秘密保護法・銃弾供与・靖国参拝と、年末年始の休み前を狙ったように、現政権の動きが続く。政治に詳しくはないが、終戦から70年近く経ち、親の戦争体験しか聞いたことのない我々でも、アブナイ方向に向かっているように感じるのはごく自然な感覚ではないか。一年前から自民一人勝ちの現状だが、このままではいけないと思う。

話は変わるが、年末の工房整備をしていたら、手押鉋盤の音がおかしい。見てみると、駆動ベルトの揺れが激しく、ベルトをもう少し張らないといけない。接近しやすい機械の前側から奥にあるモーターの固定ボルトをゆるめ、木の棒でつっぱるように動かして張力を調整する。床に近いところなので、体勢が苦しい。こういうときに無理すると腰痛になる。気をつけながら、左手で下側のナットをレンチで固定しつつ、右手で4本のボルトを締める。格闘30分でなんとかよい状態になった。ヤレヤレ。



木工機械の償却期間は10年くらいだったと思うが、この機械はもう還暦が近いのではないだろうか。注油はもちろん、ベアリング交換、ベルト調節と交換、など磨耗した部品を交換しながら、まだまだ使えそうだ。人間もやね。

2013年12月12日木曜日

神戸へ墓参り

信心深くはないが、せめて盆と年末は墓参りを続けたい。墓に向かうと、あらためて、どうして今自分がここに居るかを考える。

ウチのお墓は、祖母が熊本で亡くなった祖父の遺骨を分骨し、神戸に持ってきた時に建てたもので、異人館で有名な北野町の山手、再度ドライブウェイの入り口にある追谷墓園にある。街からすぐの立地だが、急傾斜で危険な谷筋にあり、墓以外の利用法はないらしい。神戸市のマーク、イカリの植え込み、夜にはライトアップされる「市章山」直下にあるため、写真では見づらいが、奥の方にはマークが見てとれる。



その後、久ぶりに神戸でゆっくりし、夜は初めてルミナリエを見た。有名すぎるのか、あまりに人が多く、また警備体制がものものしすぎ、あまり良い印象はない。

夕方腹が減ったので、以前好印象だった花隈近くのJR高架下にある中華料理店を再訪。大学生の時にも何度か来たことがある店で、今の主人は二代目。L字型のカウンターだけで10人も入れば満席の小さな店。ところが、でてくるラーメンやチャーハンが、アッサリしながらもとても味わい深く、そのうえ店主と奥さんの軽妙なトークが実に心地よい。ひょっとしたらと思い、主人に「神戸幼稚園まだありますか?」と聞くと、案の定卒業生で、幼稚園の二年くらい後輩だったことが判明。今後神戸によったら、必ず行く店になりそうな、お気に入り中華料理店となった。こういうことがあるので、やはり生まれた街はいい。

2013年12月3日火曜日

高村光太郎展

碧南市藤井達吉美術館で開催中の「高村光太郎展」を見てきた。展示されている作品はブロンズから木彫、それに妻知恵子の貼り絵と、数も内容も大変充実したものだった。ブロンズの人間像をはじめ、木彫のセミなど、すごいリアリティーで迫ってくる。12月15日までなので、ご興味のある方はお見逃しなく。

2013年11月21日木曜日

木工旋盤を買いに静岡へ

木工旋盤、いわゆるロクロはあまり得意ではないが、ないと困る時がある。実は3ヶ月くらい前に中国製安物旋盤をご近所の木工家さんにあげてしまい、木工旋盤がない状態だった。購入するならある程度しっかりした性能のものがほしいので、いろいろと探していた。その辺のことや選択の過程は来月のホームページにでも書こうと思う。

昨日早朝に名古屋を出て静岡へ。オフコーポレーションさんのショップで木工旋盤の現物を見て購入するためだ。わざわざ静岡まで行くので、丸子に工房を移転したスウェーデンで木工を学んだTASSさんを午前中に訪問。木工や教室のことなど、興味深く楽しい時間を持たせていただいた。その後、江戸時代から続く”とろろ飯、丁子屋”さんで昼食をとり、丸子周辺を2時間くらいサイクリング。そして午後3時過ぎにオフさん到着。

やっぱり現物を実際に見ることは大変よかった。交通費をかけて高くなったとしても、現物を見ないと確認できないことは多い。いろいろ欲を出せばきりがないし、木工教室で使うことも考え、比較的軽く、操作性や品質のよいコンパクトタイプを購入。今日それをホームセンターで買った洗車台に高さを調節して乗せ、設置完了。試し削りをしてみたところ、大変静かで、よかった。欲を言えば、この機種に延長ベッドがあればよいのだが・・・。

2013年11月6日水曜日

作品展が終った

��3回目となる作品展が終った。教室を始めてから14年目である。生徒の皆さんや多くの方に支えられ、こうして続けられていることは本当に幸せなことだ。家具作りだけではなく、その趣味をきっかけに、職場や家庭以外の人間関係が持てる場を作ることも目指してきたので、それが実現できていることにも満足感がある。


��0年以上前?に作った屋外のテーブル、修理しながらヨメさんが園芸用に使っていたのだが、ついに壊れてしまった(手前は昨年新調した屋外用テーブル)。分解して、部材は、庭の仕切りなどに使い、腐食の激しいところは、焼却処分。建物竣工時に庭に置いていた杉の丸太もほとんど形がなくなったので、土中の微生物が入った木材は10年少々で、ほぼ分解され土に戻るようだ。木材は金属やプラスチック・陶器等に比べ、廃棄しやすい。

2013年10月20日日曜日

第十三回木工教室作品展目前

��0月25日~27日まで恒例の作品展だ。ぞくぞくと出番を待つ作品が集まる。
今年も100点以上で見応え充分な予感。

2013年10月8日火曜日

スマホプチ改造

今は単なる携帯電話として使っているスマホ、それをデータ通信SIMと電話SIMを切り替えて使うことができるという、ちょっと?なパーツを入手、使ってみた。上海問屋という通販店の名前も怪しそうではあるが、送料込みで1200円ほどですぐに届いた。でも使い方のフォローはなし、トラブルの時も自己責任という、上級者?向けパーツである。

スマホの裏蓋を開けSIMカードを抜き、それとフィルム状のパーツを重ねて挿入、もう一方の端にデータ通信用SIMを入れ、SIM切り替え用アプリをダウンロードしてインストールする。「多分無理やろなあ」という予想に反し、意外?にも電話とデータ通信SIMの切り替えに成功。ただ、切り替えてから電波をつかむまで1分くらいかかるし、どちらかしか使えない。しかし、スマホ一台で、格安電話コースとデータ通信ができ、一月2000円少々で済むのだ。



とはいえ、裏蓋が閉まらず、カバーでおさえているのが現状。このまま使うかどうかは?。

2013年9月29日日曜日

第13回木工教室作品展

いよいよ来月に教室作品がせまってきた。案内状もできた。
ウチの教室で一年で一番大きな行事。というか、これしか対外的な行事はないけどね



2013年9月20日金曜日

2013年9月13日金曜日

松代大本営跡

いろんな無料ブログサイトを試しているが、広告が入るのがどうも好かん。このPlalaのブログ、現在は新規開設はできなくなっており、ブログ自体いつ廃止されるかわからないが、月105円で維持できて「広告が入らない」メリットはある。まだ模索中だが、廃止されるまではこのまま継続しそうな気配・・・


 8月下旬、夏休み最後のお楽しみで、北信州カヤの平高原でキャンプ、次の日は午後から松代へ行った。中学校講師をしていた時、子供達の平和学習で知った「松代大本営跡」が見たかったのだ。松代大本営で検索してもあまり出てこないので調べたら、「象山地下壕」という名前だった。象山神社の近くだが、政治的配慮からこのような名前にしているのかもしれない。

 近隣諸国とのゴタゴタの続く昨今だが、このような大規模の地下壕が現存し、太平洋戦争末期の日本軍が東京が壊滅したことを想定して長野に皇室を含め移転し、地下の軍本部を作ろうとしていた事実は知るべきだと思った。見学は以下を参考にしてください。

松代大本営平和祈念館
http://homepage3.nifty.com/kibonoie/kinenkan/newpage1.html

2013年8月24日土曜日

携帯電話が雨で・・・

先日諏訪湖の花火大会に行った。現地在住の木工家友人の計らいで分不相応なプレミアム席。ところがニュースでも報道されたが、花火開始直後から猛烈な雷雨となり、大会史上初めて中止になった。JRは止るし、バスや車は立ち往生、実に悲惨な状況になり、開放された避難施設で一夜を明かした人も多数おられたとのこと。私達は、全身びしょぬれになったものの、無事名古屋まで帰りついた。

ところが翌日、携帯電話の画面が出ない。ショップを回ったりしているうちに完全にイカレテしまい、電話帳のデータも回収できなくなってしまった。こうなったら、あきらめるしかない。しかし、電話はかかってくる。とりあえず、IIJのチップを入れて使っているスマホ(ドコモ用)に携帯のSIMカードを挿し、通話はできるようになった。あまったチップをNexus7に入れようと思ったが、SIMカードのサイズが合わない。それでノミで慎重に切断し、ミニSIMカードにして使っていた。

その後、ヨメさんのiphoneの解約月が来たので、この機に毎月6000円近い支払いをしないですむよう、SIMフリーのスマホに変更することに決め、海外から1万円少々のAndroidスマホを購入した。だが、これが標準のSIMサイズ用だった。それで、折角切ったミニSIMを、標準サイズに戻すため、アダプタをドリルやノミ、切り出しで作った。SIMカードの変更は可能だが、2100円もかかる。アダプタは送料を含めても500円程度で買えるが、ばからしい。一時間ほどかかり、作るのも結構難しかった。くたびれるのでアダプタを買った方がいいが、SIMカットもアダプタも自前でできたことに自己満足。

2013年8月10日土曜日

恒例雷鳥沢キャンプ

本番の梅雨明け?を待って、今年も立山の雷鳥沢キャンプへ行ってきた。昨年は7月下旬だったせいか、8月上旬の今年の方が格段に人が多かったものの、登山・キャンプ・温泉、ビール・・・と、やっぱり楽しかった。ただ、今年の方が地獄谷からのガスの濃度が高かったせいか、なヨメさんは鼻やのどの調子がちょっと悪かったようだ。

写真は夕方のキャンプ場と咲き誇るコバイケイソウ。



2013年7月28日日曜日

北海道旅行

教室夏休みの最初に、再訪したかった北海道へ4泊5日で行ってきた。家を空けるため、庭の草花などへの水遣りや通販のこともあり、本当はもっと長くしたいが、5日ぐらいが支障がでない限界だ。セントレアに格安航空会社が就航して、北海道への航空券が安くなったことも後押しした。ただし、格安とは言え、よい時間帯は結構高くなるし、預ける荷物にお金がかかったりする。結局、時間のよい便がとれて安心感のある、ANAホテル一泊付きプランにした。オフシーズンなら北海道往復が2万円以下だろう。名古屋から東京へ新幹線で往復すれば2万以上するから、北海道へ行く方が安いことになる。午後の便で札幌に到着し、札幌市内を歩く。テレビ塔や大通りは名古屋と似ている。そこにはビール祭りがあって、これも名古屋と同じだった。

二日目朝、北海道大学を見る。無料で見れる博物館はよかった。その後レンタカーを借り、高橋三太郎さんの工房へ。そこは北欧と勘違いするほどのすばらしい工房と住居で、奥様と老齢のワンちゃんも交え、楽しい時間を過ごさせてもらった。北海道の風土はスウェーデンに似ているように思うし、北欧の人は北海道へ来ると「自分の国によく似ている」と感じるとのこと。その後モエレ沼公園をレンタサイクルでぐるっと見てまわり、札幌芸術の森で開催されている椅子100人100脚展を見た。



二日目の夜は、支笏湖でキャンプの予定であったが、夕方から雨が降り出すし、明日からもずっと悪天が続くというので、急遽苫小牧市内のビジネスホテルに宿をとった。ホテル近くの”パスタデドーモ”というイタリアンの店は、魚介類がいっぱい入った料理で美味しかった。

三日目からは純粋に観光である。白老にあるアイヌ民族博物館へ行く。朝一番だったので、たった4人のお客さんのために、アイヌに伝わる話や歌・楽器演奏などをしてくれ、とても印象深かった。和人がアイヌを追いやった歴史をあまり学校では教えない。その後、強風強雨の中、函館へ向かう。途中、国宝の縄文時代中空土偶が展示されている資料館に立ち寄り、夕方は小雨の中、五稜郭を見た。土方歳三で有名な五稜郭だが、その土木技術や規模は予想よりすごく、印象的だった。夜函館の街を歩いたが、観光客目当ての大規模な施設が大変繁盛している反面、昔からの地元の町は、寂れているように見えた。どの地方都市も同じような状況かもしれない。

四日目、徒歩で函館のメインの観光地をまわった。神戸、長崎とよく似た風景である。この日も山は霧に包まれており、山頂にのぼっても、夜景はおろか、昼の函館の景色も見えないにちがいなかった。次に私がキャンプしたかった東大沼キャンプ場へ行く。本当に落ち着いた静かな湖畔のキャンプ場で、ここでゆっくりしたいと思った。ここが無料とは信じられないが、そばにある北川商店さんが快適なキャンプ場を維持するのに貢献されていることに頭が下がった。キャンプ場を見学した後、八雲温泉おぼこ荘の立寄温泉へ。広い露天風呂を独り占めした後、90円のノンホモ牛乳が美味しかった。
 今日は二十年くらい前からの木工の友人、”WEST HORSE”の西馬さんがセルフビルド中のニセコの家に泊めてもらう。工事中の建物の二階で久しぶりの再会を祝し、いっぱいやりながら四方山話は楽しかった。

五日目、時には強雨の中をニセコから新千歳へ向かう。雨にたたられたが、北海道にはまたすぐにでも来たいと思った。今回はテントやシュラフなどのキャンプ道具を持ち込みながら、キャンプはできなかったが、今度来る時は、絶対に東大沼キャンプ場は外せない。空港近くのホンダレンタカーに三日間お世話になったNBOXを返し、正午の便に乗って暑い名古屋へ帰りついた。

2013年7月17日水曜日

「TAGE FRID」DVD

デンマークから米国に招聘されたTage Frid氏(故人)、その最晩年の製作姿を収めたDVDを購入した。Amazonでの購入だが、英国の業者から送られてきた。

教室を始める前も、始めてからも、彼の本”Tage Frid teaches woodworking"三部作には、絶えずお世話になっている。彼の木工は間違いなく、能率に走るでもなく、かと言って道具にコダワリすぎることもなく、奇抜なデザインではなく実用的ではあるが知性と個性が感じられる、要するに、非常にバランスのよい木工だ。わかりやすい英語で、多数の写真や図面が入り、時にはユーモアを交えた教科書で、実際にお会いしたことはないが、私の心の師匠だと勝手に思っている。

DVDは氏の家を出る時からスタートする。サム・マルーフのビデオでも同じようなシーンがあるが、奥さんとキスしてから、ホンダの車に乗って工房へ出発。製作例は、四方を留めで接合したキャビネットである。櫛型のテンプレートとルーターを使って、サネを入れる溝を多数掘っていくのは本にあるのと全く同じ。次にテーブルソウで小さなサネを作り、一度仮組する。そして、オープンタイムの長い接着剤で本組だ。別シーンのラミネーションでも、Cascamiteという尿素系接着剤を使っている。シックハウスが問題になり、ホルムアルデヒドの有害性が指摘され、この手の接着剤はまず使われなくなったが、接着作業の時間が長くとれ、とても使いやすそうだ。毒性に問題がなければ、使ってみたい。

彼の本を気に入っておられる方は、2千円程度なら買って損はないと思う。DVDでの彼の言動から、予想どおり、気やすく、面白い人であったという印象を受けた。好人物が良い作品を作るとは限らないが、難しい人が作った芸術的作品よりも、彼のような人が作るシンプルでありながら、よく考えられた家具が私は好きだ。

2013年7月5日金曜日

もう7月や

7月という響きは、これから夏が来るという感じだけれど、数字から見れば後半戦突入である。特別大きな行事があるわけではないのに、何かと忙しい。

今年4月から地域の保健委員にならざるをえなくなり、週一回は資源ゴミのステーションを見回り、時々会合や地域行事に参加する。昨日は地域の防犯パトロールとかで、夜町内を写真のような帽子を着用して歩いた。これで防犯効果があるとは思わないが、注意をしている地域であるというアピールにはなるかも。



自分がこの帽子をかぶると、反対に危ないオジサンに見えるような気もするが・・・。

本業の木工関係では、機械のメンテに追われている。20年くらい使っている機械は何かと不具合がでてくる。今日も朝からバンドソウでキュキュと変な音がする。どうも音はVベルトのあたりから発生しているようで、早速カバーをはずし、プーリーの位置などをチェックしてみると、上のプーリーのイモネジが緩んでプーリーの位置が3mmほどずれ、それでベルトのゴムが当たって、音がしているようだ。位置をなおして、音は消え、やれやれ。それで木を試しに切ってみると、どうも先週替えた刃の切れ味がイマイチなのが気になる。それで、手製の研磨機をひっぱりだしてきて、細かく、地味な20分の作業をする。研磨機のディスクは電気で回転しているが、モーターの乗った研磨機本体を左手で動かし、右手は刃を送って、刃の裏を慎重に当てる作業のくりかえし。長さ105インチの刃で1インチ3山なので、刃数は315個。ひとつ3秒かかるとすると、945秒、約16分だが、目が疲れてくるので、20分以上かかる。



でもこれをやると、切れ味が一ランクアップする。今は海外から輸入した刃を使っているが、どうも切れ味にバラつきが大きい。近日、日本のメーカーの刃を使ってみるので、違いを検証してみたい。

 話は変わるが参院選突入だ。ネットの世界、レストランの星の数はもうとっくに信用ならないが、政治関係のブログや、評論家のHP、はたまたFacebookなど、よほど注意をして読まないと、組織に属さない者は振り回される。テレビでも反原発デモの報道はほとんどないし、いったい何を信用してよいか、判断が難しい。が、とにかく、この狭い日本で、人間がコントロールに失敗した時暴走し、それを止めることができない原発、それを減らす方向を否定する政党、政治家は、信用できないと思う。

2013年6月17日月曜日

手鋸でひき割り

厚い板から薄い板を切り出す”ひき割り”は帯鋸で行う場合がほとんどだが、機械がない時代は手鋸でやっていたはず。先日、厚さ約8mm、巾15cm、長さ23cmほどの桐の板から3mmほどの薄板を作るのを手鋸でやってみた。



ケヒキで切れ込みを周囲に回した板をバイスで垂直に固定し、替刃式両刃鋸の縦目で四方のコーナーからケヒキ線に刃を入れるように切り込んでいく。元の板が少し湾曲しているので、それに対応するようにしながら、軽く鋸を入れていくのは機械では無理。柔らかい桐でもあり、意外と簡単に薄板が二枚できた。



中央部に段差ができてしまったが、バンドソウより歩留まりはよかった。機械があると機械ばかり使うようになるけれど、自分の腕をたよりに手鋸でひき割り作業をするのは楽しかった。

2013年6月8日土曜日

バンドソウ:ベアリング交換

ウチのデルタ14インチバンドソウは最後期の米国製で、購入年は覚えていないが、20年数年?使っている。教室を始めてからでも14年目で、今でも使用頻度はトップクラス。ブレードガイドのベアリングは5回以上交換しているが、大切なプーリーのベアリングは交換したことがなかった。しかし、このごろ、どうも刃の位置が安定しないので、思い切ってベアリングを交換することにした。米国製ではあるが、ベアリングは日本のNTN品番6202Zなので、入手は簡単で安価だ。



プーリーは写真のようにコクタンの棒で心棒に当て、木槌で軽くたたいて、外すことができた。プーリーの表裏両面に固くはまっているベアリングも、同様にして、堅木の丸棒を使って木槌で慎重に何度も軽く叩くことで外すことができた。ベアリング抜きを持っていないと、場合によってはとても苦労することがあるかもしれない。古いのが外れれば、新しいのを入れるのは簡単だ。外したベアリングを手で回してみると、磨耗が進んでいるのか、ゴロゴロ感があり、もう寿命だと思った。下の駆動側プーリーのベアリングも交換したいが、大変そうなので、日を改めて実施することにした。



びっくりしたのは、プーリーの裏側にホイールバランスをとるため、重さの調整をした跡があったこと。結構ちゃんとした仕事をしているのに正直感激した。新しいベアリングになったバンドソウは、振動が少なくなったせいだろうか、同じブレードなのに、交換前より切れ巾が小さくなった。

2013年5月15日水曜日

工房とエノテラ

ブログとは名ばかり、ほぼ月3回の更新頻度になっている。今流行りのFacebookも他の方達の活発な書きこみに追い立てられるようで、自分はどうも居心地が悪い。マイペースでいくことで長続きする・・・、と思うことにしている。

さて、今日は珍しく木工の話題。
薄い天板を作っている。どうしても少しは波打つので、完璧な平面を目指して鉋をかけると薄くなる部分が生じる。それでわずかな湾曲には目をつむり、スクレーパーで自動鉋の跡だけをとることにした。キャビネットスクレーパーと通常のスクエアスクレーパーを使い、ナイフマークをとっていく。よく切れるスクレーパーなら、こんな風に木屑がでて、まるで鉋屑だ。


夕方外に出ると、工房西側の土手に”エノテラ”が絨毯のように咲き誇っている。ヨメさんが前の家から引っ越してくるときに持って来て植えたものらしい。徐々に生育範囲を広げ、土手の半分まで勢力が広がってきた。庭にも飛び火し、エノテラに占領されそうな勢いだ。よほどここの土が好きなのだろう。

2013年5月5日日曜日

大黒屋光太夫記念館

前日記で紹介した鈴鹿市の大黒屋光太夫記念館に行ってきた。小さな平屋の記念館は無料だが、正直地味。しかし町をあげて過去の英雄とも言える「大黒屋光太夫」の業績を残そうという心意気が感じられた。故郷に里帰りした際の様々な文書など興味深い。

入館時、お客は私達二人だけだったが、その後カメラを首からぶらさげた男性がやってきた。写真撮影禁止なのに。すぐ理由がわかった、その男性は新聞記者さんだったのだ。帰ろうとしたら、記念館の女性が「すみませんが撮影のモデルになってもらえませんか?」。顔が映るわけでもないので、まあいいかと気楽にOKし、陳列ケースを見ている後ろ姿を何枚か撮られた。どこの新聞社か聞かなかったが、帰宅後ネットで検索してみたら、その写真を発見。あまり見たくない後姿ですが、よい記念にはなりました。

伊勢新聞、鈴鹿 神宮敬い帰国後参拝 光太夫の里帰り紹介

2013年4月26日金曜日

大黒屋光太夫

先月旅行の際、出発前にふと買った井上靖氏の「おろしや国酔夢譚」があまりに面白く、主人公の大黒屋光太夫への興味がつきない。映画化もされているし、読まれた方も多いと思う。江戸時代に難破、漂流し、流れついた極北の島から、過酷なカムチャッカやシベリアの旅を経て、やっとイルクーツクで人並みに生きることができるようになる。そこで人脈を得、ついにはぺテルブルグまで行き、女王に会うことがかない、信頼を得て日本への帰国が許される・・・という、嘘のようなノンフィクション小説。その大黒屋光太夫は伊勢の船頭で、記念館が三重県鈴鹿市にある。近いうちに行ってみたい。

大黒屋光太夫記念館

子供の頃、ソ連(ロシア)は恐い国だと教えられていたが、二回行ったウラジオストックでお会いしたロシアの人々の印象は良い。この本に登場する多くのロシア人も異国の漂流民にとても親切な人が多い。この本を読んでいたら、ウラジオストック行きを、もっと充実したものにできたのではと思う。後悔先に立たず。

2013年4月16日火曜日

エアポートウォーク

自分は乗り物好きだ。鉄道や船、そして飛行機はどうもテンションがあがる。三日連続の教室が終わる火曜日は自然発生的休日となるので、今日は県営名古屋空港へ行った。そこのショッピングセンター「エアポートウォーク」がお気に入りなのだ。以前の国際線ビルを改造しているのだが、意識的に空港施設のムードを残しているところが面白い。西の景色を見ながら広い休憩スペースで軽食を食べ、屋上の空港が見えるラウンジで広い飛行場や離陸する飛行機を眺めているだけで心が和む。同じようなおっさんが何人かいた。常連も多いようだ。あとは4階の紀伊国屋でゆっくりと本を見る。ダレーッとした休息モードの日に適したよい時間だ。

2013年4月5日金曜日

枝垂桜

工房から10分ほどのところに「東谷山フルーツパーク」があり、枝垂桜の名所だ。午後にちょこっと見てきた。
毎年、花は美しいが、人が多いのが苦手。ぐるっと一周しただけで、好物のソフトクリームも食べずに退散。
でも、今年も見れてよかった。

2013年3月20日水曜日

製作記事の安直な真似は危険

私は木工関係で最も早くホームページを開設した方だと思うが、今ではホームページやブログでご自身の作業をオープンにされる木工家さんも大変多くなり、趣味であれプロであれ、多方面の情報を得やすくなっている。大変ありがたいことではあるが、経験や知識不足、あるいは段階を経ないで、その真似をし、大怪我をしなければいいが・・・と心配する。

例えば、大きな板材を手持ちの丸鋸や昇降盤で切断するのは、キックバックの危険がとても大きい。経験豊富な方は、それに対する対処法を知り、危険性を充分知ったうえで作業をしておられるが、これらは簡単に身につくものではない。ルーターも実に危ない道具であるが、アメリカなどの木工雑誌の影響だろうか、ジグ万能という感じで、簡単に加工すると、大変恐ろしい目に会うことがある。

教室では下記のような点を注意しているが、これらは単なる知識では意味がなく、身についている必要がある。正直なところ、怪我をしない程度に危ない事象を経験しないと本当に身につくものではないと思うが、そんなことを言っても始まらないので、羅列してみる。

・長い材を切断する場合、切断の後半でキックバックが起きやすい。電動丸鋸の使用はできるだけ裂ける。ジグソウは比較的安全だが、それでも最後の1~2センチは手鋸で切断する。

・平面の出ていない材をテーブルソウで切断するのは、極めて危険。切断が進行すると、材の内部応力や重力のかかり方が変化し、丸鋸を締め付けたりして危険な状態になる。丸鋸による切断面がコゲている場合は、危険と隣り合わせだったことを意味している。切断面がコゲていて平気なのは無神経の証。

・ルータービットの回転方向と、それによってルーターやトリマ本体がどのような動きをするか、理解しているか?6mm軸のストレートビットで、いきなり10mmもの深さの切削は、折れたりするなど、極めて危険。6mmなら、深さは最大6mm、横方向の切削は直径の3分の1、2mm程度を上限とする。少ない切削量で何度も加工する方が、手間はかかるが、安全で美しく加工できる。

安全面に限らず、深い理解なく、他人の作業を真似をすることには、大きな落とし穴がある。どうしてそのような工程をとられたのか、その理由がわからない場合には、やらない方がよい。ネットの世界は、勘違いしやすい世界でもある。

2013年3月14日木曜日

ボーナス平均支給額!?

今年の春闘、結果トヨタは組合の要求に満額回答で、社員のボーナスは年間約5ヶ月分、平均支給額は205万円と報道があった。

ひとり工場長の木工屋さんで、純粋に木工だけの収入で年間200万円の利益をあげている方は、どれくらいおられるだろうか。みんなそれぞれの台所事情があるだろうが、単純に考えてみて、25万円のテーブルをロスなく作って、材料費やその他の経費を差し引いて、利益は15万円くらいのものだろう。テーブルは効率がよい方だが、椅子や箱物だと、もっと手間やロスが多くなるので、月30万円の利益を確保するのは大変なことである。それを超人的に毎月こなしたとしても年収は360万円で、実情は注文の少ない月もあるから、その6割程度ではないか。これはあくまで私の想像だが、大きくは外れていないと思う。そうだとすると、弱小木工屋の年間収入を大手自動車会社の社員さんはボーナスでもらうことになる。しかし自動車関連のお仕事をされている教室の生徒さんからは、そんなおいしい話は全然聞こえてこない。あの手この手で、非正規雇用という形態をうまく継続的に使い続けていて、正社員さんとの格差の大きさを痛感する。

あれだけ騙された民主党から自民党政権になったことは、当然の成り行きかもしれない。しかし、民主党政権の時、あれだけ政権に批判的だったマスコミや財界が、自民党政権にはメチャ協力的に見える。財界、マスコミ、政権が一丸となれば強い。実態は伴わなくてもムード作りができる。けど、例えば、いじめ抜かれた菅さんだけれど、脱原発の方向を示したことを少しは評価してもよいのではないか。気のせいかもしれないが、最近は福島原発の現状についての報道が少ないように思う。大きな力がマスコミの報道を誘導していると感じてもおかしくはない。

話は元にもどるが、年収700万円の人が年収360万の人より二倍幸せかというと、そうではないだろう。たとえ年収が300万円であっても好きな仕事で充実した時間が持てるなら、その方が幸せだ。エリート社員さんの年収を上げることも大切だろうが、もっと悪い条件で働いておられる大勢の方の収入を、少しでもあげてもらったほうが、本当の景気浮揚策になるはずだ。

2013年3月10日日曜日

京都ゴールデンコース

今年の冬は寒く、そして長かった。それでもやはり3月になると急に春めいた。運動不足気味のため、先週は久しぶりのサイクリング、お気に入りの京都へ出かけ、冬の間の鬱憤を晴らすべく、たっぷり一日楽しんだ。

京都東IC経由で三条京阪まで2時間半ほど。コインパークに車を止め、自転車を出して、いざ出発。辰巳橋付近を通って知恩院へ、そこから山添を南へ、高台寺から、清水寺参道へ。午前中から大変な人出。外国人も多く、流石世界遺産。だが、目的は寺ではなく七味。昨年錦市場で買った七味を冷凍しながら大切に使っていたが、それがなくなったので、京都で定番の有名店「七味屋」さん本店で一袋無事ゲット。元来た道を戻り、八坂神社付近で「出町ろろろ」というお店に昼飯の予約を入れたら「12時に来てください」とのこと、岡崎公園から加茂川へ出て北へ向かう。豆大福「ふたば」はいつものことながら、長蛇の列なので、今回は敬遠して昼食のお店に向かう。さまざまな野菜をさまざまに調理した京野菜中心の1050円お弁当、上品で美味しかったが男性にはちょっと少なめ。

いちおうお腹が膨れたので、鴨川をさらに北に行き、紫明通りから鞍馬道へ、そしてこれまた世界遺産の「金閣寺」へ。これほど有名な金閣寺ではあるが、実は小学校の時以来。外国人観光客と混じりながら、また金ピカよりも銀閣の方が渋いなとか思ったりしながら、でもやっぱり金色の建物と借景の山とのバランスはなかなか絶妙であった。金閣の次は「あぶり餅」。旅番組でよく登場する今宮神社参道にあるお店の店先で焼かれる小さな餅に甘味噌をかけた食物なのだが、水曜定休のため前回は食べることができなかったのだ。お座敷にあがって、お茶とセット500円のあぶり餅初体験。昔ながらの風情を引き算すれば、甘くない高山のみたらし団子の方が好きかも。

目的はあと「五辻」の昆布を残すのみ。まだ少し時間があるので、船岡山近くの古い銭湯を改造した喫茶店「さらさ西陣」でしばし休憩。本当は船岡温泉へ浸かりたかったのだが、サイクリングの途中でもあり、今回は銭湯喫茶で満足する。西へ走り千本通りを南に下って、お気に入りの昆布屋「五辻」。ここの昆布の佃煮は美味しい。そこから帰りになるが、東へ走ってまた出町に着いたら、豆大福「ふたば」の行列が5人ほどに減っていた。これはチャンスと黒豆大福二個買い込む。もう4時過ぎとなり、自転車を走らせ車のところへ向かう。途中でヨメさんが「北野天満宮の梅を見るのを忘れた!」と言うが、今日はもう疲れたので、また来年?。

自転車を車に戻した後、少し三条の町を歩く。鳩居堂やその奥の和絵具屋さんを覗く。もう疲れているので、おなじみの三条「篠田屋」でうどんで食べようと行ったら、なんと今日は臨時休業の張り紙が・・・。しかたなく、車に乗って大津SAでうどんを食べて、名古屋の工房に帰り着いたら、まだ夜の8時過ぎだった。お腹が減ったので、大津PAで買った551の豚饅とふたばの豆大福を食べたら、また嬉しい気分になった。めちゃめちゃ密度の濃い一日だった。

2013年2月21日木曜日

名古屋の喫茶店

名古屋周辺の喫茶店での”モーニング”は有名だが、実態はコーヒーの値段でトーストと玉子がつくぐらいが普通だ思う。が、一度ヤキソバと茶碗蒸しがついていてびっくりしたこともあった。さて、先日のこと、3日連続の教室が終わってダレーッとする火曜日、買出しに行った帰りに、むかし大きなうどん屋だったところが豆三郎という喫茶店に変わっていたので入ってみた。午後3時頃だったと思うが、コーヒーを頼んだら、「ワッフルかパンケーキをお選びください」とのことで、でてきたのが、コレ。



午後の喫茶店では、通常ピーナッツの小袋が出てきたりはするが、そこそこ立派なワッフルやホットケーキがでてくるとは思わなかった。朝のモーニングから昼のランチセットまであるようで、結構お客さんが多く、うどん屋の時より流行っている。関西出の私が知る喫茶店というより、喫茶タイプの総合飲食業なのかもしれない。

2013年2月8日金曜日

岐阜城

昨日は金華山に登ってきた。このところ体を動かしていないので、どこか行こうということになり、歴史好きのヨメさんの意向もあり、岐阜城をめざした。名古屋から電車だと岐阜はすぐだが、車だと意外と遠い。遊びだから高速を使わず下道で行くが、一宮へ出るまでが渋滞が多く、ストレスがたまる。まあ一時間半ほどで岐阜について早い目に昼飯とする。事前に調べていた長良川沿いの古い町並みの中にある「川原町屋」というカフェに行ってみた。古い民家の奥にある蔵を改造したカフェで隠れ家的な喫茶店だ。ここは女性向けでランチは男性には物足りないが、京都に居るような感じは悪くなかった。

岐阜公園の駐車場に車を置いて、登山靴に履き替え、登山開始。馬の背コースという、一番きつい直登コースを選ぶ。数年前に一度登ったことがある。岩場も多く、勾配がきついが、登山道としては危なくはない。ただし、都会からすぐに登れるので、ナメテかかるとエライ目に合う。登山靴がない場合でも、しっかりした靴でないと無理。一汗かいて到着した岐阜城に上り、長良川など周辺の景色を堪能&歴史のお勉強。


下山はもうすこし緩いコースをとるが、下りが苦手な人は注意が必要。下山後”Nagaragawa Flavor”というギャラリーや喫茶、パン屋さんなどが集まっている施設に行ってみた。新しい施設で、木の家具や小物を扱うお店もあり、大変おしゃれな感じ。木の家具はどうしても製作者の目で見てしまうが、値段が比較的安く、うまく商売されているなあと思った。

その後、お腹がすいて途中ラーメン屋へ立ち寄り、犬山経由で自宅に帰った。終日曇りだったが、比較的暖かい日でよかった。それに比べ、今日はメチャ寒い!。機械の整備をしていたら、腰痛の前兆がビビッときた。無理せず、暖かい所でデスクワークをする。

2013年1月17日木曜日

大坂弘道展

2月11日まで練馬区立美術館で「大坂弘道展」が開催されている。奈良近郊に住んでいる時、正倉院宝物の箱を復元されたというテレビ番組で氏の存在をはじめて知った。超絶というか、真似など到底できない細かく完璧な仕事をされる方だ。その大坂さんが今まで作られたほとんどの作品を練馬区に寄贈され、それを記念に開催された展示会である。



これは絶対に見たいと思っていたが、やっと昨日行ってきた。東京に大雪が降った次の日で美術館周辺もまだまだ雪で、足元が悪いし、環状八号の渋滞を甘く見ていた。いろいろあったが、本当に来てよかった。木工に限らず工芸に興味のある方には絶対おすすめ。おそらく、これほどの作品を見ることができる機会はもうないのではないだろうか。そのうえ、なんと入場無料!。

公式サイト
大坂弘道展

2013年1月12日土曜日

珍しい同窓会

先週、学校を出て最初に就職した会社の上司がリタイヤ後に創った陶器の個展があった。若い時から陶芸をされていたが、悠々自適になってからは二年間で90点以上という力の入りようだ。ついに自宅での収納が困難になり、希望者に無料で配布するという、あまり聞いたことがない展示会である。当時は50人ほどの小さな会社で、上司と言っても、学生の延長みたいな社員生活で、実に面白かった。今は押しも押されぬ優良企業になっているが、儲かっていなかったその頃の会社が一番面白かったことは間違いない。



それに合わせて当時の同僚達が集まり、同窓会を行った。30年近くの歳月を越えての集合で、それぞれ年を取ってはいるが個性は変わらないところが面白い。学校の同窓会はよく聞くが、最初に居た会社の同窓会というのは珍しい。6時30分に始めた宴会が気がつくと11時過ぎ。いやはや楽しかった。早期に退職したにもかかわらず、声をかけてくれることがありがたかった。